「中国の子供はどう中国語をおぼえるのか」この本を通して中国語学習のヒントをえるその19回目です。
”不”は意思表示の現れです。中国の子供は、”没”よりもはやく”不”を覚えるそうです。私たち日本人も”いや”を子供のころはよく使ったと思います。京京ちゃんも例にもれずよく使っていたそうです。
歩くのが好きだった京京ちゃん、ある時をさかえに歩きたがらなくなったそうです。そんな時、お母さんと
京京,快走呀(京京はやく歩きなさい)
不!抱抱(いや!だっこー)
なんてやり取りがあったそうです。体調をこわした時も
不,不,不吃药(いやいや、薬飲まない)
この会話でもわかるように、動詞の前につく”不”は、それを「やりたくない」「やらない」という強い意思の現われになります。不走,不吃,不去,不要,不用なんてのも強い意志の現われですね。なので、大人が使う時は注意が必要です。
”不”が「しない」「そうではない」を表しているのに対して”没”は「していない」「起こっていない」という現状を表します。”不”の次に覚えるのが”没有 ”です。所有を表す”有”とともによく使うそうです。私たちも子供のころ「友達みんな持ってるのに、私だけないんだよ」なんて親にせがんだことがあるんじゃないでしょうか?
京京ちゃん家族が北京に旅行に行った時、天安門広場で京京ちゃんが
为什么毛主席照片挂在天安门上?(どうして毛主席の写真は天安門掛けてあるの)
と言ったそうです。お母さんが”你说呢?(あなたはどう思うの?)と聞くと”
因为他没有家!(お家がないから)
なぜこのように答えたのかというと、中国では、同居しているかの有無にかかわらず、家族の写真を部屋に飾ってあることが多いからです。
”有”には、所有以外にも存在を表す用法もあります。主語が場所を表す名詞であれば、人や物がそこに存在していることを表します。
车站里有很多人(駅にたくさん人がいる)
”没””没有”が動詞の前につくとその動作がなされていないことを表します。京京ちゃんは、お母さんが友達とおしゃべりをしていると、割って入ってくるようになりました。お母さんたちが北京の話をしていれば、
我去过北京(わたし、北京に行ったことがあるよ)
と言った具合です。”我去过北京”を否定するときは、”没 ”をつけ”我没去过北京”となります。なぜ”不”ではダメなのかというと、”不”は、これからのことを否定するからです。”过”との相性が悪いんですね。
京京ちゃんは、まだ幼く時間の概念がはっきりしていないため、”不”と”没”の使い分けがうまくできない時もあったそうです。
妈妈,我们好几天都不去公园了(ママ、私たちずっと公園行ってない)
これ明らかに違っています。正解は
妈妈,我们好几天都没去公园了(ママ、私たちずっと公園行ってない)
時間 + (没)+ 動詞 +(目的語)+ (了)で一定の時間、ずっとなされていないことを表します。”好久没见你了(しばらくぶりですね)”もこれと同じ用法です。
語学は、恥をかいてなんぼです。わたしも、留学中はそうとう恥かきました。それでは、また✋