中国語研究所(1日5分中国語)

語学がむずかしいのは、学問にしてしまったから

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私が経験した中国の正月 

みなさま、年末をいかがお過ごしでしょうか?拙僧は、日々変わりなく修行の日々を送っております。今回は、20年以上前に中国で過ごした正月について語ってみようと思います。

ある日、拙僧は、20年以上まえ学生時代に果たせなかった留学(理由は、天安門事件が起きてしまったためです。)をする機会を得たのです。当時の職場で友人となった中国人にその(天安門事件で留学がなくなった)話をしたら、「行くのなら協力すよ。」と言ってくれたんですよ。卒業後10年の月日が経っていましたが、今後のことも考え、留学を決心しました。留学後は現地にも友人ができ、楽しい日々を送っていました。正月も近くなったある日、房东(fáng dōng:家主.大家.賃貸人.貸主)から正月のお誘いを受け、彼の故郷に行くこととなったのです。

その当時はまだ反日感情の強い地域もあり、友人の中国人に危険な場所を教えてもらったりして危険に留意して生活していました。なんせ、毎日のように戦時中、日本がどんなに悪いことをしたかをドラマで流しているのですから、仕方ありませんが・・・

当時の列車はこんなんだったような

 

房东の故郷に向かう当日、大連駅につき火车票(huǒ chēpiào:汽車の切符)を購入すると、簡単な荷物チェックを受け、列車に乗り込みました。列車に乗り最初に驚いたのが、到着した駅の駅名がわからないということです。日本なら到着した駅名は、車窓から外を眺めればすぐわかりますよね。でも、その当時の田舎の駅は駅名が擦り切れて読めなかったんですよね。焦って駅員をつかまえて駅名を言うとまだ1時間くらいかかるから着いたら教えてくれると言ってくれた。でも、安心なんてできません。中国人て結構適当な人多いんですよ。どきどきしながら待っていると「次の駅です」と教えてくれました。「真面目な人で良かった」フーッと胸をなでおろしました。

 

駅は無人駅。駅を出ると道路は舗装されておらず、民家が点々としているだけ、ほんとここであってるのと不安になりましたが、しばらくすると房东が現れ家に案内してくれました。敷地に入ると平屋の家が2軒立っていてそのうちの一軒に連れていかれました。ほんと簡素な作りで、びっくりした。居間らしきところに案内されると、一段高くなっている居間らしきものがありそこに上がるように言われました。しばらくすると一皿の水餃子が運ばれてきた、中国の正月はこれを食べて祝うのだそうだ。ありがたくいただくと、口の中でなにか固いものがあたった。「なんだっ!」と思い口からその堅いものを出してみると、硬貨である。「うえっ!お金!?」と思っていると、恭喜(gōng xǐ :おめでとう)!恭喜!と笑顔である。「なにがめでたいの」と尋ねると、たくさん作る餃子のなかに数枚硬貨をいれ、引いた人は今年幸運なのだという。でも、中国に行ったことのある人はわかると思いますが、中国の貨幣は日本の貨幣の何百倍も汚いんですよ。幸運なのかそうじゃないのか複雑な気分でした。食後、房东のご家族と話をし、お腹が痛くなったので、トイレを借りることになったのですが、ちょうどトイレの改装工事をしていた関係上さらなる新たな経験をするにいたりました。それは、そっそれは、ショベルカーでひとかき穴を掘ったあとに板を二枚並べただけの簡易トイレ。オーマイガー!でも、「出物腫れ物所嫌わず」やはりさっきの餃子なのかと思いつつ用を足しました。

こんな風に入ってますが、貨幣はもっと黒ずんでいます。

 

列車の本数が少ないため、夕方の列車で大連に帰ることとなりました。良い経験をさせてもらったが、二度目は結構と思う拙僧でした。みなさま、今年もご訪問くださりありがとうございました。来年もたのしく中国語を学べる情報をお伝えしたいと思っておりますので、お暇な折にお立ち寄りください。来年こそは、””YOUTUBE”にも挑戦したいです。では、また来年!皆様よい新年を